フリーターという生き方

こんばんは。

知り合いの方も何の気なしに来てくれた方も閲覧していただき、感謝します。

私は頻繁にイギリスの本や海外の新聞、CNNに情報商材といったところまで手広く情報を手に入れるよう意識的に心掛けています。

ある時、この前あることがあったので、知見のエッセンスとは人類の欲求であるという認識が深化するような出来事がありましたため、本記事では「フリーター脱出」という意欲について打ち込んでいこうと考えています。

「ヒトの哀しさの型は多様だが、幸福は画一的だ」という言葉があります。

フリーター脱出という願望はそのなかの1種類の幸福の形象であると思います。

人は幸福の像は一様であるからこそ、その幸福の形象に目指そうと沢山の物と情報共有しようと試行錯誤しています。

ニンゲンはまずランゲージを作りだし、周囲のヒューマンとの情報共有し、レターを使い回しすることで、その著述を作成した人たちと情報共有しようと試行錯誤してきました。

伝達する手段としてはFacebook、新聞、web、webとしては現在進化してきているだけです。

では、コンテンツはいかがでしょう。

コンテンツは細分化すればさまざまに思われますが、つまるところ種類は同様です。

フリーター脱出という欲求も前の日から一色にあったうちの一つなのです。

ここでひとつ疑問が出てきます。

コンテンツ 中身 内容物 情報の内容に関しては画一的であるにもかかわらず、なぜやりとりメソッドによって知見の質が左右されてしまうものなのでしょうか。

わたしには、書冊の話題と、情報商材の話題は同じにも関わらず図書の見分をより多く入手しようとしており、情報商材は書冊に比べればそこまで活発に得ていません。

コンテンツ 中身 内容物 情報の内容が同様であるならばそこに雌雄を明確にする必要もないはずなのですが。

ここで関係してくることは同一のフリーター脱出ということをとりあつかっていても、私にとっての見分の信頼性が大きく違っているためなのです。

ニュースは新聞社が義務をもって情報発信している情報であり、Facebook情報商材はどこの誰ともわからない人が伝達しているデータであるためです。

では知見の信ぴょう性はどのように皆さん無自覚のまま判断しているのでしょうか。

海外のニュースを閲覧すると、国内ではまったく異なる方向で報道しているなど、データの合法性というものを考察してみると、本や新聞の見分が真実性が高いということは、証明する術もなく、ただ「真実性が高い」ということをただただ信じることしかできないのではないでしょうか。

むしろぼくたちは、情報収集方式を先入観で遮断してしまい、逆に偏りがある情報をえているのだと思うようになりました。

こう思うようになったきっかけは、このまえフリーター脱出関連の情報商材をよんでいるときのことでした。

ふと記載内容で以前真逆の主張をしている本があったことを思い出しました。

私は、この情報商材が嘘の内容を記載していると思い、とても憤慨しクレームを出そうかとも考えましひた。

しかし、他で調べてみるとなんと書物で書いてあることが間違いで、情報商材に書いてあることの方が正しかったのです。

ぼくは驚愕しました。

情報入手手段に関して、意図して複数の入手いたし方を設けて偏りのない知見を入手する努力をしているはずだが、無意識に書冊の知識は合法性が高く、情報商材は真実性が高くないと考えを持っていたことにです。

皆さんも無意識にに同様の固定概念をもってしまっている人間も多いのではないでしょうか。

しかし、かといって金銭や時間はたくさんにあるわけではないので、優先度をつけて知見入手していくことは不可欠です。

実際に情報商材は高価なときが多く、書冊は安価なケースが多いので、書物の割合が多くなってしまうのはしかたがないのですが、やはりアクティブにさまざまな情報収集やり方をもうけておくこと、見分の信頼性という膠着した考えは排除しておくことが大切だと思います。

フリーター脱出においては、特殊な知見であるケースが多々あるので情報商材の方が入手しやすいかもしれませんが、逆に書冊での情報収取を心掛けておくべきかもしれません。

つまるところ見分の正真正銘というのは示し方がないのですから、多くのデータを得て、自分のうちで知識の体系化をしていくことでしかないのですから。

つれづれと書いていたのに、偉そうな文章になってしまいました。

もうしわけありません 笑